仮面ライダークウガの最終回にて、何故五代はダクバを撃破してそのまま旅に出て行ってしまったと思い...
9:3711仮面ライダークウガの最終回にて、何故五代はダクバを撃破そのまま旅に出て行ってしまったと思いますか?周りの人が心配いると思うので少しだけでも帰ってきても良かったのでは…?と思いますが。。
仮面ライダークウガの最終回にて、何故五代はダクバを撃破そのまま旅に出て行ってしまったと思いますか?周りの人が心配いると思うので少しだけでも帰ってきても良かったのでは…?と思いますが。。
達、やみのりや神崎先生がとても心配すると思うのですが…。。
また、ダグバとの決戦に行く前に身近な人達に冒険に行くと話いまがどの様な意図があったと思いますか? 私の解釈とは、 長い間冒険を我慢し嫌いな暴力を振るい続けたことで五代自身も深く傷ついていた為、ダグバ撃破後は誰とも会わず一人で旅に出ようと思っていた。。
ダグバとの決戦前に身近な人達に冒険に出ると伝えていたのはダグバと相打ちになったり、に倒されたことを悟られない様にすることも兼ねて伝えていた(周りの人達を悲しませないように)と思いま。。
皆様はどう思いまか? また、海外の浜辺で五代がジャグリングをいるシーンは現実の光景なのか、それとも「きっと五代はどこかで生きているんだろう」という登場人物達の想像なのか、どちらだと思いますか? 因みに私は前者です。。
当時の脚本家や監督、高寺Pはどういう解釈で撮影いたのでしょうか。。
※あくまでTV版クウガのみで小説版クウガの内容は(荒川氏の作品とはいえ)後付けのため含まないものとします。。
特撮11
(1件)並び順を変更する新しい順古い順なるほど順 9:54この手のお話って、「ご都合」があります。。
視聴者からら「キャラクターたちの深層意識の気持ちに気付きにくい」部分で、実は「彼はそんな気持ちを抱いていて、きっと戦いの後はこうするだろう」なんてのを理解います。。
だから視聴者からら「生死がわからず心配するんじゃない!?捜索願とか出されるんじゃ!?」と現実的に考えちゃいますが、作中はいなくなってしまった事に 「ふっ…アイツらしいな」 「ええ、きっと彼はどこかで生きてるはずよ」 「ああ、彼は今日もどこかで誰かを助けてるさ…」 なんて解釈くれて「ただ本人の意思に委ねてくれる」わけです。。
例え帰りを待つ人がいても 「あの人の事だから…きっといつかひょっこり顔だくれるよ」 となっちゃうんです。。
結局結末を見届けてないから本当にどうなったか分からないけど、 「予測された最悪の終わり方は観測できなかった、つまり彼が勝利し終わらせたんだ」 と良い解釈をくれてます。。
というか、そこで疑ってしまうと話がフワフワ終わらないって話もあります。。
一応子供向けでもあるため、疑問をつけて終わらせてはいけないわけです。。
「悪いやつをやっつけて、旅にでて楽しく過ごいる」 子供は主人公を観測いるので 「本人が笑顔だからよかったね」 と終われてます。。
それが全てで、そこに 「残された人の気持ちは、まだ終わりでは無いんでないか?脅威はあるんじゃないか?旅に出て連絡とれなかったら…」 と深読みはするだけ野暮、って話です。。
だから作り手は「実は」は考えたかもしれないけど、あくまでも「そこまでを描く、終わらせる作品」だもんでリアルに考えては持ち込まないと思います。。
このはいかがでか?